長所と短所

わたしが高校生のとき、とある奨学制度への応募を試みたことがありました。募集定員がそもそも少なかったこともあり、結果としては採択されなかったのですが、履歴書めいたものを書いたり、面接に赴いたりした覚えがあります。

履歴書めいた書類には「自分の長所」「自分の短所」をそれぞれ書く欄がありました。

長所と短所…ねえ。うーん…と唸って考え込んだ結果「いずれも長所にも短所にもなり得る」みたいなことを書きかけて、親に叱られました。

たとえば「ルールを厳格に守る」というと長所かもしれません。「融通が利かない」と言われれば短所になります。

「臨機応変に対応している」と書けば長所かもしれません。「行き当たりばったり」と言われれば欠点にも見えます。

「集中力がすごい」というのは長所でしょうか?「自分の興味が突っ走ると周りへの配慮がなくなる」なんて言われ方をすると、短所のようにも感じられます。

最近「ネガポジ変換」という言い方も時々見かけるようになりました。

ネガティブな表現の中にある、ポジティブな要素に焦点を当て直して、表現を書き換える、という作業のようです。

単なる言葉あそびになってしまう可能性もありますが、それでも、できている、素晴らしいと思える場所にちゃんと焦点があたって、意識が向くとか、評価されるとかすると、それだけでも変わってくることがあります。

以前、すこし触れた、村上光照老師は、「山の高さは遠くからの方がよく分かる」という言い方もされていましたが、同時に「長所は離れる方が良く見える」「短所は近づくほどに目につく」とおっしゃっていました。

ほどよい距離感で、ひとの長所を見ていく、ということも重要なのだろうと思います。

クリニックでの診療をしていると、たとえば、ひとの表情を細かく把握できる、という才能を開花された方が、けっこういらっしゃいます。逆に言うと、他人の感情を気にしてしまう気質、とも言えますが、こういう繊細さはとても高い能力と呼ぶことができます。

とはいえ、その能力に振り回されて、自分自身が疲弊するのであれば、長所と呼ぶことも難しいかもしれません。振り回されないようにするためには、やはり自分自身の軸をしっかり建てることと、ちょっと俯瞰し、やや突き放したような視野を確保できることが大事な気がしています。

長所とか短所、というものは、いずれも、「特徴的な才能」あるいは「特徴的な感性」と呼ばれるようなものでしょうから、どちらにしてもきっと、じゃじゃ馬であることが多いのだと思います。

これらに振り回されずに、自分の人生を生きてゆく、ということができたら、心は穏やかに過ごせるのではなかろうか、と思うわけです。