雑談の効用
診療の時に、わたしは、症状とはあまり関係がないように思われる「雑談」を入れることがあります。
「雑談」って、「雑草」みたいな呼び方をしていますが、この「雑談」に、わたしは元気にしてもらった、という経験があります。
それは整体のお師匠筋の方と、おしゃべりさせて頂いていたときのことでした。その時は気づかなかったのですが、わたしは心に重たいものを抱えていたのだと思います。その「心にひっかかっていたこと」の話を直接したわけではありませんでした。むしろ、それとは関係の無さそうな話をしばらくして、ふと気づいたら、じぶんの心の重たさがなくなっていた、そんな経験でした。
さすがに、そこまで芸術的な雑談を、わたしができているわけではありません。
が、この間、精神科の診療にわりと詳しい方に伺ったところ、雑談が成立しているような医者−患者関係だと、「ラポール」…いわゆる信頼関係のことを、精神科や心理学の領域ではそのように呼びます…の形成がよくなるだけではなく、一見すると関係が無いように思われる話題が、意外と症状の理解につながることもある、などの理由が挙げられているようですが、治療効果が出やすいのだというのです。
へえ。
思いがけず、効用がはっきりしている、と言えるのでしょうか…?今流行りの「コスパ」のことを考えると、雑談に時間を割かれると、採算は合いづらい、ということになりそうですが。
まあ、ひとは人生を、「コスパ」で生きているわけじゃありませんし、雑談の効用がもうちょっと知られても良いのかもしれない、と思います。
あまり脱線してばっかりで、帰って来られないのは、それはそれでモンダイだったりしますので、ほどほど、が大事なのでしょうけれど。