80年の節目に
1945年という年には、わたしはまだまだかげもかたちもありませんでした。
今日は、ちょうど、昭和20年の玉音放送から80年が経過した日です。
80年といえば、とても遠い昔のように感じられます。その頃の影響なんて、もう残っていないんじゃないのか、とも思います。
が、縁があって、フィリピンを訪問すると、なんのなんの。まだまだ当時の爪痕が、多少形を変えてはいるものの、あちこちに残っていました。
特徴的なのは、棚田の崩壊したあと。
南方での米国との戦争は、ルソン島の北部におよび、今は世界遺産となっている、棚田への艦砲射撃がなされたのだと聞きました。石垣が崩れ、今は草や木がそこから生えるようになっています。

棚田の一部が森のようになっていますが、これの多くは、石垣が壊されたところ…であり、
それは太平洋戦争の時に破壊されたものが多いのだ、ということでした。
また、ルソン島北部の棚田に至るまでの道の、周辺には草原とハゲ山が散見されました。
熱帯雨林気候の島に、なぜ草原が?なぜ大きな木が無いのか?と疑問に思いましたが、戦中にジャングルであった現地を、焼き払った結果、植生が変わってしまったのだそうです。
まだまだ戦争の影響は長くあとを残しているのだ…ということを重く感じた訪問でした。
こちらは10年前に公表された、という玉音放送の原盤の紹介報道の動画です。
こちら(Wikipedia)には玉音放送の原稿と、現代語訳が載せられています。他にも、文語文になった事情なども書かれていました。
思うに今後帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず
汝臣民の衷情も朕よく是れを知る
然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪え 忍び難きを忍び もって万世の為に太平を開かんと欲す
朕はここに国体を護持し得て 忠良なる汝臣民の赤誠に信倚し 常に汝臣民と共に在り
もしそれ情の激する所 濫りに事端を滋くし 或いは同胞排擠 互いに時局を乱り 為に大道を誤り 信義を世界に失うが如きは 朕最も之を戒む
宜しく 挙国一家 子孫相伝え かたく神州の不滅を信じ 任重くして道遠きを念い 総力を将来の建設に傾け 道義を篤くし 志操を堅くし 誓って国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし
汝臣民それ克く朕が意を体せよ
当時、この放送の意味をすぐさまに理解できたひとがどのくらいいらっしゃったのか。
今江祥智の『ぼんぼん』だったと思うのですが、登場人物の男性が、玉音放送の意味を理解し「日本は負けた」とその場で口にしたところ、元気の良いお兄さんにぶん殴られてたおれてしまう…という形での描写があります。
「たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび」の部分はわたしも小さい頃に聞き及んでいました。当時は「汝ら臣民よ、ひたすら耐えるのだ」的な意味合いだと思っていましたが、改めて原文を読むと、むしろ、陛下がひたすら辛いところを我慢して…という意味合いが強い場所ですね。
とはいえ、その先「任重くして道遠きを念い、総力を将来の建設に傾け…」と、頑張って建て直すのだ、という激励文にもなっています。
80年と言えば、すでに三世代ほどが通り過ぎているところです。元号も昭和から平成へ、平成から令和へと変わりました。
なかなか、当初の思いが、無条件にいつまでも続くというものでもありませんが、今日この日くらいは、当時の思いに気持ちを寄せて、ささやかではありますが、祈りを捧げたいと思います。